さよなら!
この仕事をしていて、いろんな人との出会いがあった。
その中で、当社の撮影の手が足りない時に手伝いに来てもらっていたカメラマンがいた。名前は「銀城アトム」さんという。
銀城さんとの出会いは、取引業者からの紹介だった。
撮影当日「こんにちはー!」という元気のいい声が聞こえ、そちらを見てみると、青島幸男似の男性が、その年代の人間からは見たことのない、屈託のない笑顔で立っていた。
その笑顔と声の爽やかさに、とてもよい印象を持った。
撮影が終わり、話しをしているうちに、銀城さんはフランスで数年過ごされていたとのことで、私もたった1年間だけだが、サーフィン修行のため海外で過ごした時期があり、また、銀城さんは空手、私はキックボクシングと、ジャンルは違えど、心身共に鍛えているという共通の話題で話しが弾んだ。
帰り際「さよなら!」と言ってニッコリ笑って帰って行く姿がとても印象的だった。
「さよなら」と言う言葉は、使いそうで意外と使わない言葉だからだと思う。
話しの内容や、その笑顔から、「あんなに心がきれいなまま大人になった人もいるんだなぁ」と関心してしまった。
それからしばらく銀城さんに撮影をお願いすることがあり、会う度にいろんな話しをして、銀城さんが来た時は、とてもためになる時間を過ごしたが、それから1年程経ち、社内の事情からしばらくの間、撮影は社内の人間で人手が足りることとなり、銀城さんとの連絡も疎遠となっていた。
そんなある日、銀城さんから私の携帯へ連絡があった。
電話口から「こんにちは!」と相変わらずの挨拶のあと、身辺話しをした。
その直後、銀城さんから、「イヤー、山中さん、参りました!」との明るい言葉。
私が「何が参ったのですか?」と聞くと、「実はガンで医者から余命半年と言われてしまいました」
声の感じや、その明るさから、「誰が?」とか「嘘だろ?」という思いが頭を駆け巡って、私から返す言葉が出なかった。
それから銀城さんが逆に気を遣ってくれて、話しかけてくれ、いろいろ話したはずだが、内容はほとんど覚えていない。
一部覚えているやり取りは、私が「絶対諦めないで頑張りましょう!私の父もガンだったけど、今はピンピンしてますよ!プロポリスやサメの軟骨など、ガンに効くものがたくさんあるから試してみましょうよ!」と言った言葉の後に、銀城さんが言った言葉で、脳裏に焼き付き決して忘れられない言葉がある、「ありがとう山中さん。でも・・、少し早いけどそれも(死も)いいかなと思っているんですよ」
もう返す言葉がなかった・・。不思議にも「銀城さんらしいな」とも思った。
しかし電話を切った後から、今度は自分自身へ堪えていた感情が抑えきれず、「死んだ方がいいヤツが世の中には他にいっぱいいるじゃないか!それが何で銀城さんなんだ!」という怒りと悲しみで、しばらく涙が止まらなかった。
その数日後、銀城さんからまた電話があった、「友人達が私の撮った写真の個展をセッティングしてくれたので、ぜひいらしてください」とのことだった。
当日お伺いすると、「あの笑顔」で出迎えてくれたが、様子をみれば辛いのは一目瞭然だった。
それでも銀城さんは来てくれたお客さんを笑顔で出迎え、合間を見て、私に写真の説明をしながら付き添ってくれた。
行く前は、「まだ民間治療などすれば助かるのでは」という思いもあったが、会って話した時は、私の心も既に決まっていた「こんな男が決めたことなんだ、黙って見送るしかないな」と・・。
その心の清さから、「この人は神様が必要としていて早く呼ばれたに違いない」という思いもあって、不思議と悲しいという感情が出なかった。
帰り際に握手をして帰った。そんな思いもあり、私もその日の別れは涙が出なかった。おそらくこれが今生の別れになるというのも分かっていたが・・・。
あれから数年経って、やっと銀城さんのことをブログで紹介しようという気持ちにまで心が回復した。
銀城さんから得たものはとても大きかったし、難しいことだけど、できれば銀城さんのような心を持った大人になりたいとも思う。
最後に、まだ銀城さんに言っていないことがある。
銀城さん、「さよなら!」

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